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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)8853号 判決 1987年3月27日

原告 下奥弘美

右法定代理人親権者 母 下奥千惠子

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 下奥和孝

被告 岡野四郎

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告下奥弘美に対し二三〇一万三二八三円、原告下奥千惠子に対し八五〇万六六四二円、原告下奥正吉に対し七三九万円、原告下奥キクヱに対し二五〇万円及び右各金員に対する昭和五三年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告下奥弘美(以下「原告弘美」という。)は、亡下奥義政(以下「亡義政」という。)の子にしてかつ相続人であり、原告下奥千惠子(以下「原告千惠子」という。)は、亡義政の妻にしてかつ相続人である。

(二) 原告下奥正吉(以下「原告正吉」という。)は、亡義政の父であり、原告下奥キクヱ(以下「原告キクヱ」という。)は、亡義政の母である。

(三) 被告は、肩書地において岡野医院を開業する医師である。

2  亡義政は、昭和五二年三月九日急性肝炎症の治療のため被告との間に医療契約を締結して岡野医院に入院し、被告による医療を受けていたところ、同年四月一二日ころウイルス性心膜・心筋炎(心臓全壁炎)を併発し、同心筋炎に因る急性心不全及び肺水腫のため同月一八日同医院において死亡した。

3  被告は、前記2のとおり亡義政の急性肝炎疾患に対する医療行為を引き受けたのであるから、右医療行為を実施する医師として、亡義政に対し当該疾患の治療を担当する医師が一般に要求される適正な治療処置を実施すべきものであるところ、亡義政に対する当該肝炎の治療に際して、左記のとおり違法若しくは不完全な治療処置をなしたものであるが、被告には右処置に関し、医師として必要な注意義務に反した過失が存する。

(一)(1) 一般にプレドニン(副腎皮質ホルモン製剤)は、強力な抗炎症作用を発揮するが、プレドニンを生体に投与すると患者の生体における副腎皮質ホルモンの分泌機能を抑制し、患者の生体における同ホルモンによる抗菌力を減退させる副作用を伴うので、プレドニンの投与を急に中止すると生体における同ホルモンの分泌不足に因る疾病の再燃を招くに至る客観的危険性が存するのである。

従って、急性肝炎患者に対してプレドニンを使用すると、患者の右肝炎が軽癒してもそれはプレドニンの作用による見せかけの軽癒であって、プレドニンの使用を中止すると肝炎の再燃を招く危険性がある等の理由から、重篤な急性肝炎の患者以外の患者には、その使用の必要性も相当性もなく、これを使用すべきでないとされており、またこれを使用した場合においてその使用を中止するには患者の病状を慎重に検査・観察しその異常がないことを確かめながら投与量を徐々に減少し、患者の生体における副腎皮質ホルモンの分泌機能が十分に回復するのを俟って使用を中止すべきものとされ、このような慎重な配慮を怠ってその使用を中止すると患者の生体における副腎皮質ホルモン分泌機能の低下による肝炎の再燃、もしくは他のウイルスによる感染ならびに異常増殖を誘発し、その結果重篤なウイルス性疾患(前記心膜・心筋炎もそのなかに含まれる。)を惹起する危険性のあることが医学上明らかにされており、したがって急性肝炎患者の治療に当る医師は、当該認識・配慮をもってプレドニンを使用すべきである。

(2) しかるに被告は、亡義政の急性肝炎は普通の症状であってプレドニンを使用すべきでないにもかかわらず、亡義政が岡野医院に入院した昭和五二年三月九日以来同年四月一日まで合計二四日間にわたり同人に対し一日量二〇ミリグラムのプレドニンを継続的に投与したのみならず、その後同月八日まで一日量一〇ミリグラムに減量投与したのち、同月九日プレドニンの投与を全く中止した。

(3) 被告の亡義政に対するプレドニンの投与は、右(1)で述べたとおり、医学的に不適当なものであるとともに、右投与中止の方法は医学的常識を逸脱した乱暴なものであり、その減量の時期、内容、期間等において著しく適正を欠いた違法若しくは不適切な治療処置であって、被告に過失が存することは明らかである。

(二)(1) 被告は、同年四月一一日亡義政に対して銭湯における入浴を許可したため、同人は同日銭湯に行って入浴した。

(2)(イ) 亡義政の同年四月八日におけるGPT数値(血清中グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ数値、以下単に「GPT数値」という。)は一一二であり、同数値はなお変動している状態であったから、同人の当時の肝炎症は、同人に入浴を許可しうる客観的状態にはなく、医師としてはなおGPT検査を引続き実施して同数値が本格的に低下し、かつ安定した状態を確認したうえではじめて入浴を許可すべきであったから、右の確認を怠った被告の同人に対する入浴許可は、それ自体急性肝炎患者の入浴許可条件を充たしていない違法若しくは不適切な治療処置であって、被告には右の点に関して注意義務違反が存する。

(ロ) のみならず、右当時は、被告が亡義政に対しプレドニンを長期間投与したのちその投与を中止して間がないうえに、右中止は一日量一〇ミリグラムから直ちに中止したものであって、右のような経緯に照らせば、当時は時期的になお亡義政の症状、殊にプレドニン投与中止による生体の異常の有無、に対する慎重な配慮と検査を必要としたのであるから、右被告の亡義政に対する入浴許可は違法若しくは不適切な治療処置であって、被告には、右処置につき過失が存する。

(三) 亡義政は、被告の前記(一)で述べたプレドニン投与方法及び前記(二)で述べた入浴許可が原因となって、同年四月一二日ころ、肝炎ウイルスもしくは他のウイルスにより心膜・心筋炎を併発したものである。

4  亡義政は、前記のとおり昭和五二年四月一二日ころには心膜・心筋炎を併発していたのであるから、亡義政の治療にあたっていた被告としては、右疾患を発見し、同人に対し適切な治療処置を施すべきであったにもかかわらず、被告は左の通り右疾患を看過して誤った診断をし、亡義政に対し適切な治療処置を施さなかったばかりか、不当な処遇をなしたため訴外人は前記2の通り死亡するに至ったものであり、右一連の処置につき被告に過失が存するものである。

(一) 亡義政は前記3(二)(1)記載のとおり入浴した翌日である昭和五二年四月一二日三八度五分の発熱があり、加えて胸部の圧迫・締つけなどの心筋炎の諸症状を訴える状況にあったところ、右当時は亡義政に対するプレドニンの投与を中止した直後であったことから、前記3(一)(1)で述べたプレドニンの性質に鑑みれば、被告としては亡義政の前記症状から疾病の再燃事実の有無及び関連疾病―ウイルス性疾患、ことに心筋炎発病事実の有無等を疑って十分に検査すべきであったのに、亡義政の右発熱を咽頭炎であると軽信して、必要な検査を怠ったものであるが、右は違法若しくは不適切な治療処置であり、被告には、医師として通常要求される注意義務を尽くさなかった過失が存する。

(二) 被告は同月一四日亡義政の堪え難い胸部の圧迫感及び締つけ等の愁訴に応じて同人の心電図をとったのであるが、右心電図は重篤な心膜・心筋炎の顕著な特徴を示していたことから、医師国家試験レベルの医学的知識・経験を有している者であれば当該心電図が心筋炎患者の心電図であることは診断しえたはずであるのに、被告は右心電図を見て亡義政の当該心疾患を心筋梗塞であると誤診したが、右は違法若しくは不適切な処置であって被告に過失が存することは明白である。

(三) 被告は、右(二)のように亡義政の心疾患を心筋梗塞と誤診はしたが、心筋障害を確認したからには、医師として同人の心電図を三〇分ないし一時間ごとに継続的にとることにより、同人の当該心筋障害が、心筋梗塞であることを確定すべきであったのに、これを怠り、結局、亡義政が心筋炎を併発していることを発見しえなかったものであるが、被告の右行為は、違法若しくは不適切な治療処置であるうえに、被告には右処置に際し注意義務違反が存したものである。

なお、被告が右に述べたように心電図をとっていれば、亡義政が心筋炎を併発していたことは容易に判明したはずである。

(四) 前記岡野医院には、心疾患の患者に対して適正医療を施すに足りる人的・物的能力がなかったのであるから、被告は、亡義政が心疾患であることを認識したとき以降、直ちに同人を当該設備・能力を有する病院に移し、もって同人に対し適切な治療処置を施すべきであったのに、岡野医院において同人の治療を継続したが、右は違法若しくは不適切な治療処置であって、被告は医師として要求される注意義務を怠ったものである。

(五) 一般に心筋梗塞の疑いがある場合には、患者をまず絶対安静にし、心電図モニターによる重症不整脈の監視と脈搏・血圧・呼吸数その他患者の一般的状態に注意し、心不全に至らないかを注意すべきであるのに、被告は前記(三)で述べた通り心電図による継続的な監視を怠ったばかりか、亡義政の胸部痛が相当顕著になった同月一五日、重篤な心疾患に苦しむ同人を二階の病室から一階のX線室まで階段を歩行させて胸部X線写真を撮影した後、再び同人を二階の病室まで歩行させたうえ、夜間は監視も看護もない状態で亡義政を独り病室に放置し、翌一六日には、後記(六)のとおり前日の胸部X線写真の結果によりそれまでの心筋梗塞の疑いを否定して急性肺炎の診断をして、同人に対し流動食の摂取と便所への歩行を許したが、右一連の処置は違法若しくは不適切な治療処置であって、被告には必要な注意義務を尽くさなかった過失が存する。

(六) 被告は、同月一五日撮影した亡義政の胸部X線写真の肺分野における異常を急性肺炎であるものと誤診し、右異常が肺水腫によるものであることを看過し、ために肺水腫に対する治療を何ら施さなかったが、右は違法若しくは不適切な治療処置であるうえに、被告には右誤診に関し、心疾患の治療にあたる医師として尽くすべき注意義務に反した過失がある。

5  右3、4で述べたように、亡義政は、被告の同人に対する急性肝炎症の治療に際しての違法若しくは不適切な治療処置、すなわち、プレドニンの誤った投与方法及び誤った入浴許可により心膜・心筋炎を併発し、更に被告が右心膜・心筋炎の併発を看過して同人に対し適切な治療処置をとらなかったのみならず違法若しくは不適切な治療処置をとったために死亡するに至ったものであるところ、遅くとも被告が亡義政の胸部X線写真を撮った昭和五二年四月一五日の時点において肺水腫の診断が正確になされて適切な治療が施されていれば、同人の救命が可能であったものであるから、被告の前記違法若しくは不適切な治療処置と亡義政の死亡との間には相当因果関係が存するものである。

また仮に、亡義政の死亡の原因となった心筋障害が心筋梗塞であったとしても、右心筋梗塞は前記3で述べた被告の亡義政に対する急性肝炎の治療に際しての違法若しくは不適切な治療処置に起因するものであるうえに、前記4(三)ないし(六)で述べた通り、被告の亡義政に対する治療処置は、心筋梗塞の治療としても違法若しくは不適切なものであったのであるから、被告の右違法若しくは不適切な治療処置と亡義政の死亡との間には相当因果関係が存することは明白である。

6  原告らは前記亡義政の死亡によりそれぞれ次のとおり損害を被った。

(一) 原告弘美の損害

(1) 逸失利益 一七〇一万三二八三円

亡義政は死亡当時年令三四歳七日で、東京鉄道荷物株式会社に勤務しており、その収入は年額二二七万八二八〇円であり、妻と子供一人の計三人家族の世帯主であった。したがって亡義政が死亡によって喪失した将来における得べかりし利益は、同人の生活費割合をその収入の三〇パーセント、同人の就労可能年数を六七才としてライプニッツ式計算法により将来の得べかりし利益から年五分の割合による中間利息を控除すると二五五一万九九二五円となる。そしてこれに対する同原告の相続分は三分の二であるから亡義政の当該逸失利益の同原告の相続分は一七〇一万三二八三円となる。

(2) 慰藉料 六〇〇万円

(二) 原告千惠子の損害

逸失利益 八五〇万六六四二円

同原告は亡義政の妻であるから同人の当該逸失利益の同原告の相続分は、二五五一万九九二五円の三分の一である八五〇万六六四二円となる。

(三) 原告正吉の損害

(1) 慰藉料 二五〇万円

(2) 葬儀費用 五〇万円

(3) 弁護士費用 四三九万円

(四) 原告キクヱ

慰藉料 二五〇万円

7  よって原告らは被告に対し、主位的に不法行為による損害賠償請求権に基づき、予備的に債務不履行による損害賠償請求権に基づき、原告弘美については二三〇一万三二八三円、同千惠子については八五〇万六六四二円、同正吉については七三九万円、同キクヱについては二五〇万円及びこれに対する不法行為の後もしくは催告としての訴状送達の翌日である昭和五三年九月二七日から各支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち「同年四月一二日ころウイルス性心膜・心筋炎(心臓全壁炎)を併発し、同心筋炎に因る」は否認し、その余は認める。

3(一)(1) 同3(一)(1)のうちプレドニン使用の一般的注意義務については特に争わない。

(2) 同3(一)(2)のうち、亡義政に対するプレドニン投与の日時、量及び投与の中止の時期については認め、その余は否認ないし争う。

(3) 同3(一)(3)はすべて争う。

近時においては急性肝炎に対するプレドニン等の副腎皮質ステロイド剤の使用については、ステロイド剤の副作用等を考慮して使用しない傾向になっているが、本件の昭和五二年当時は、一般的に使用する状況にあったものである。亡義政は入院当日頃、食欲不振・心窩部痛を著名に訴えており、更に同人から被告に対し覚せい剤ヒロポンを常用していたという告知もあったので、被告は重症の急性肝炎と判断して治療を開始したものであり、プレドニンの投与方法も、さほど大量とは考えられない一日量二〇ミリグラムより開始して患者である亡義政の病状の経過を把握しながら、二四日目に半分の一〇ミリグラムに減量して七日間使用し、肝機能検査の推移及び全身状態をみながら使用を中止したものであって、乱暴不適切な減量とは到底言いえないものである。

(二)(1) 同3(二)(1)は認める。

(2) 同3(二)(2)のうち亡義政の昭和五二年四月八日におけるGPT数値が一一二であることは認め、その余はすべて争う。

亡義政に対する昭和五二年四月一日の肝機能検査によれば、GOT数値(血清中グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミラーゼ数値、以下単に「GOT数値」という。)は七三、GPT数値は一四八、同月八日の検査によれば、GOT数値は二〇、GPT数値は一一二であって、亡義政の急性肝炎は順調な快復を示しており、同人自身右当時には院内の歩行等は充分に行っており、同人の一般状態・全身状態にも特記される異常は全く見られなかったことから入浴を許可したものである。被告は、亡義政が入院した当日から毎日同人を診察してきていたのであり、右診察経過及び患者の状態を考察した結果として、入浴を許可したのであって、右許可は医学的常識をはずれたものではない。

(三) 同3(三)はすべて否認する。

4(一)  同4(一)のうち、亡義政に入浴翌日である昭和五二年四月一二日発熱があったことは認めるが、三八度二分である。その余は、全て否認ないし争う。

右同日亡義政は咽頭痛を訴える以外、呼吸困難等の症状はなく、被告は診察により咽頭の発赤を認めたため、咽頭炎と診断したものである。

(二) 同4(二)のうち被告が同月一四日亡義政の胸内苦悶の訴えに応じて同人の心電図をとったことは認め、その余は否認ないし争う。被告が亡義政の心疾患を心筋梗塞と診断したことに誤りはなかったものである。

(三) 同4(三)はすべて争う。

(四) 同4(四)のうち、被告が岡野医院において亡義政の治療を継続したことは認め、その余はすべて争う。

転医については、亡義政の病状の発現が突発的であり、急激にショック状態を呈して来たために、被告としては転医することは危険であると判断したのであって、被告に責められるべき点はない。

(五) 同4(五)のうち、被告が同月一五日亡義政を二階の病室から一階のX線室まで歩行させて亡義政の胸部X線写真を撮影した後、再び亡義政を二階の病室まで歩行させたことは認め、その余は否認ないし争う。

(六) 同4(六)は争う。被告は本件X線写真により、亡義政の心疾患は、肺炎、若しくは肺水腫の合併症ではないかと疑い、同人に対し肺炎及び肺水腫の治療をかねて行ったのである。

5  同5はすべて争う。

亡義政は急性肺炎の治療中、退院直後に突如心筋梗塞になり、その結果死亡したものであるが、右心筋梗塞の発症は突発的なものであって、亡義政の一ヶ月以上の入院経過中の状態からこれを予測することは不可能であった。被告の亡義政に対する本件治療行為には何ら過失はなく、入浴後の発熱と本件心筋梗塞発症との因果関係も存しない。

仮に、亡義政の本件心疾患が、ウイルス性心筋炎であったとしても、その診断は現在においても困難とされており、被告が正確な診断をしなかったことを過失とすることはできない。また、急性ウイルス性心筋炎の予後は悪く、本件の場合仮に心筋炎と診断されて最善の治療がなされたとしても亡義政は救命されえなかった可能性が高く、したがって、被告の本件治療行為と亡義政の死との間に相当因果関係は存しない。

6  同6はすべて否認ないし争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  争いのない事実

原告弘美は亡義政の子にしてかつ相続人であること、原告千惠子は亡義政の妻にしてかつ相続人であること、原告正吉は亡義政の父であること、原告キクヱは亡義政の母であること、被告は肩書地において岡野医院を開業する医師であること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  本件治療行為

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  (被告の経歴、専門等)

被告は、昭和三八年三月熊本大学医学部を卒業し、同年四月から昭和三九年三月まで東京都交通局病院でインターンを修め、同年一一月医師国家試験に合格して医師登録をして東京慈恵会医科大学第二外科に入局、昭和四九年五月まで同大学に勤務、同年六月から昭和五〇年八月までは千葉県木更津市榎本外科・胃腸科病院に勤務した後、同年九月から肩書地において岡野医院を開設して現在に至っており、この間昭和四九年二月には東京慈恵会医科大学で医学博士号を取得しているものであり、同医院の専門診療科としては外科、胃腸科を標榜している。

2  (本件治療に至る経緯)

(一)  亡義政は昭和五二年三月三日岡野医院に来院し、医師である訴外大橋栄一の診察を受けた。亡義政は、翌四日にも岡野医院に来院し、被告の診察を受けたが、このとき被告は、亡義政の黄疸の症状が非常に強く、亡義政から被告に対しヒロポンをしばらく使用していたが、二、三日前から全身倦怠感、食欲不振、心窩部痛の症状がある旨の訴えがあったので、急性肝炎と診断し肝機能検査を実施したところ右検査結果は、GOT数値が一三一〇、GPT数値が一六一四であって、被告の前記診断を裏付けるものであった。

(二)  そこで、亡義政は同月九日急性肝炎の治療のために被告との間に医療契約を締結して岡野医院に入院した(右事実は当事者間に争いがない。)。

3  (本件治療及び亡義政の病状の推移)

(一)(1)  被告は亡義政の急性肝炎(以下「本件肝炎」という。)の治療として、亡義政に対し左記のとおりプレドニンを投与した後、昭和五二年四月九日同人に対するプレドニンの投与を一たん完全に中止した(右事実は当事者間に争いがない。)

昭和五二年三月九日から同年四月一日まで

一日量二〇ミリグラム

昭和五二年四月二日から同月八日まで

一日量一〇ミリグラム

(2) 右プレドニン投与期間中の亡義政の肝機能検査中のGOT値とGPT値は左記のとおりであった。

採血年月日 検査結果判明日 GOT値 GPT値

昭和五二年三月一二日 同月一四日 一一八 三六七

昭和五二年三月二二日 同月二四日 一六五 二八九

昭和五二年四月一日 同月二日 七三 一四八

昭和五二年四月八日 同月九日 二〇 一一二

(二)  被告は、昭和五二年四月一一日亡義政の入浴したいとの希望に対し、入浴を許可し、同日亡義政は入浴した(右事実は当事者間に争いがない。)。

(三)(1)  亡義政の体温は右入浴後から上昇しはじめ入浴翌日の同月一二日には三八度二分になった。同日、被告は亡義政を診察した結果、亡義政がのどの痛みを訴えたうえ同人ののどが赤くなっていたことから咽頭炎と診断し、亡義政に対しセファロスポリン系抗生物質セポール錠と消炎酵素剤ダーゼン錠及び下熱剤を投与した。

(2) 翌一三日早朝には亡義政の体温は三八度五分まで上昇したが夕刻には三七度四分に下降した。

(四)  翌一四日亡義政は被告に対し、前夜以来吐気、嘔吐があった旨訴えた。亡義政は右同日の午後二時ころから激しい胸内苦悶を訴える状態となり、脈搏は前日午後の八〇台から急激に上昇して一一〇前後となった。

(五)  そこで被告は亡義政の心臓疾患を疑い、同日同人の心電図(《証拠省略》、以下「本件心電図」という。)をとったところ、被告からみた右心電図にはST波の顕著な上昇が見られたので、被告としては狭心症か心筋梗塞を疑った。

(六)  そのため被告は、同日亡義政に対し狭心症治療剤であるニトログリセリンを投与したところ、同人は一時前記症状の改善を見せたが、夕刻ころ再び激しい胸内苦悶感を訴えるようになり、その後嘔吐や血圧の急降下などのショック症状を呈しはじめた。

(七)  被告は、右(六)の亡義政の症状から同人の心疾患を心筋梗塞と判断し、ショック状態を改善させるために同人にプレドニン三〇ミリグラムを投与した。

(八)  被告は同日、亡義政の血液検査も行なっているが、右の結果によれば、白血球が上昇しており、GOT値は三三一、GPT値は四九四であった。

(九)(1)  昭和五二年四月一五日には、亡義政の前日からの胸部内苦悶は前日より増強したうえ、血圧も前日より上昇し、脈搏も多くなっていたところ、同人は喀血をしたので被告は胸部合併症を疑って、同人の胸部X線写真をとることにした。

(2) そこで被告は、亡義政を二階の病室から一階のX線室まで階段を歩行させて同人の胸部X線写真(《証拠省略》、以下「本件X線写真」という。)を撮影した後、再び同人を二階の病室まで歩行させた(右事実は当事者間に争いがない。)。

(一〇)  被告は、同日、現像した本件X線写真を見て、肺うっ血を認めたので、亡義政は心筋梗塞に肺炎を合併したものと診断して、肺炎に対する治療として抗生物質であるリンコシン及びセポラン並びにうっ血性心不全治療薬ネオフィリンを同人に投与するとともに、呼吸困難の症状に対しては、酸素吸入を行なった。

(一一)  同月一六日及び一七日とも亡義政の胸内苦悶は依然として続いており、脈搏もかなり高い状態であった。

被告の亡義政に対する治療は、同月一五日とほぼ同様であった。

(一二)  同月一八日午前被告は、亡義政の母である原告キクヱに亡義政の様子がおかしいから来てくれと言われて同人を診察したところ、血圧がかなり下降してきており(具体的には九〇―五〇から八〇―三〇各ミリメートルHgに降下)、苦しそうな様子であったため、強心剤セジラニッドや昇圧剤等を同人に対し投与したが、同日午後一二時三〇分ころ死亡した(亡義政が右同日死亡したことは当事者間に争いがない。)。

三  亡義政の死因

1  前記二3(四)ないし(一二)認定の事実及び《証拠省略》によれば

(一)  亡義政の胸内苦悶は昭和五二年四月一三日から死亡に至る同月一八日まで継続しており、同月一五日以降は右胸内苦悶が増強していっていること及び呼吸困難、血圧低下の症状がみられること。

(二)(1)  本件心電図の異状所見は洞性頻脈とST上昇にあるが、右ST上昇は通常心筋梗塞にみられるような上方凸の形を示さず、aVRをのぞき大部分の誘導で上昇の傾向を示していることから心膜炎の心電図と診断されること。

(2) 仮に亡義政の心疾患が心筋梗塞だとすると、心臓全体の梗塞ということになるが、だとすると同人が同月一八日まで生存することは通常考えられないこと。

(三)  亡義政は同月一五日血痰があり、脈搏が上昇して呼吸困難が続いているが、右同日撮影した本件X線写真は、左右両側へのバタフライ形に近い心陰影の拡大を示しており、肺水腫の特徴が存すること。

以上の事実が認められ、右各事実と《証拠省略》を総合すれば、亡義政はおそくとも同月一四日には急性心膜・心筋炎(以下「本件心筋炎」という。)を併発した結果、同月一五日には肺水腫をおこし、これによる急性心不全により同月一八日死亡するに至ったものと認められ(る。)《証拠判断省略》

四  被告の不法行為及び債務不履行

1  原告らは、前記二3(一)(1)記載の被告が亡義政に対する急性肝炎の治療においてプレドニンを投与したこと自体ないしは投与の方法、分量等及び前記二3(二)記載の被告が亡義政に対して入浴を許可したことが亡義政に対する治療措置として違法若しくは不適切なものであったと主張するのでこの点について判断する。

(一)  訴外人に対するプレドニンの投与とその方法

(1)(イ) 一般にプレドニンは強力な抗炎作用を有するが、これを生体に投与すると、患者の生体における副腎皮質ホルモンの分泌機能を抑制し、患者の生体における同ホルモンによる抗菌力を減退させる副作用を伴うので、プレドニン投与を急に中止すると生体における同ホルモンの分泌不足に因る疾病の再燃を招くに至る危険性が存すること、

(ロ) それゆえプレドニンを使用した後この使用を中止するには、患者の病状を慎重に検査・観察し、患者に右異常がないことを確認しつつ徐々に投与量を減少し、患者の生体における同ホルモンの分泌機能が十分に回復するのを俟って使用を中止すべきものとされていること、

(ハ) 少なくとも現在においては右プレドニンの副作用を考慮して急性肝炎患者に対しては重症例を除いてプレドニンを使用しない傾向になっていること、

以上の事実は当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》によれば、昭和五二年三月四日における訴外人のGOT値は一三一〇、GPT値は一六一四であって、訴外人には嘔吐も肝腫張もなく、右によれば、当時の訴外人の急性肝炎は、同疾病としては標準的なものであって重症例とは認め難いのであって、右の程度の急性肝炎の治療としてプレドニンを使用することは、本件治療当時において一般的でなく、必ずしも必要な処置であるとは言えないことが認められるが、他方前記二3(一)(2)認定の事実、《証拠省略》によれば、被告が訴外人に対し一日量二〇ミリグラムのプレドニンを投与していた二〇日余りの間に、肝機能検査の結果並びに一般症状として急性肝炎の症状が良くなってきていたことが認められ、右事実に照らすならば、被告の訴外人に対する入院当初からのプレドニンの投与自体が必ずしも違法な治療行為であるとまでは認めるに足りないし、また、不適切な治療行為であるとも認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(3) 《証拠省略》によれば、患者に対するプレドニン投与から右投与中止に至る投与計画としては、一日量一〇ミリグラムの投与からいきなり投与を中止することは四1(一)(1)認定のプレドニンの性質からいって、当該疾病再燃の危険性が高まることから一般的ではなく、重篤な副作用により止むを得ず中止する等の特殊事情が存する場合以外は、一日量五ミリグラムを投与して様子をみた後に投与を中止するのが通常であることが認められ(《証拠判断省略》。)、本件においては右に述べた特殊事情は何ら認められないのであるから、前記二3(一)(1)認定の被告の亡義政に対するプレドニンの投与から右中止に至る減量方法は、治療処置として違法、不適切なものであるものといわねばならない。

(二)  亡義政に対する入浴許可

前記二3(一)(2)認定の事実、《証拠省略》によれば、昭和五二年三月一二日から同年四月八日にかけて亡義政のGPT値は着実に減少してきていること、GOT値も同年三月二二日に一度上昇はしているものの、その後急激に減少してきていること、右の間同人の体温は三六度から三七度の間、脈搏は七〇から九〇の間でともに安定していたこと、被告からみても同人の外見的な一般状態は良好であったこと、同年四月一一日には同人の黄疸症状は肉眼的には消失したこと、被告は右のような同人の症状の推移をふまえて入浴を許可したこと、以上の事実が認められ、右によれば、入浴許可当時の亡義政の急性肝炎は、着実に治癒の方向に向かっていたことが認められるのであって、右事実に鑑定の結果を総合すれば、右当時の亡義政の病状が入浴を許可しうる客観的状態になかったものとまでは認めるに足りないが、他方、《証拠省略》によれば、一般的には、急性肝炎患者の入浴の基準としては、GOT値、GPT値が少なくとも六〇以下になることが必要であり、ベッドから起きて運動することを繰り返したり、あるいは少しずつ運動量を増やしたりしても右数値の上昇がないことをみたうえで入浴させるものとされていることが認められるのに、本件ではGOT値、GPT値が基準値に達してないことはもちろんのこと、右のような手順もふまれていないうえに、前記四1(一)(2)認定のごとく、亡義政の前記症状の改善傾向はプレドニンの投与による影響が大であるものと考えられるのに、入浴許可の時期が前記二3(一)(1)及び二3(二)認定のごとく、プレドニン投与を急激に中止した直後であることに照らすならば、被告の亡義政に対する入浴許可は、治療処置として違法、不適切な行為であったものといいうる。

2  原告らは、被告は亡義政が発熱した昭和五二年四月一二日の時点で同人の肝炎ウイルスによる心筋炎発症の有無を確認すべきであった旨主張し、《証拠省略》中には右主張に沿う供述部分が存するが、他方鑑定の結果によれば、肝炎ウイルスによる心筋炎は稀であって、現実の問題として肝炎患者の治療にあたる医師が心筋炎の発症を考慮して加療していることはほとんどないことが認められ、してみると、肝炎患者の治療にあたる医師が、同肝炎ウイルスによる心筋炎の発症に留意しながら治療行為を行なうべきものとは言えず、右によれば被害が亡義政が発熱した昭和五二年四月一二日の時点で同人の心筋炎発症の有無を確認しなかったことをもって違法な治療行為とも不適切な治療行為とも言い難い。

3  原告らは、亡義政は昭和五二年四月一二日ころには本件心筋炎を併発している状態であったのに被告は、誤った診断のもとにかかる症状の亡義政に対し適切な治療処置を施さなかったばかりか、違法若しくは不適切な処遇を行なったうえに、同月一四日には亡義政の心疾患を心筋梗塞と誤診し、右誤診のもとに、同人に対し違法若しくは不適切な治療処置を施した旨主張するので判断する。

(一)  原告らは、亡義政は入浴をした翌日ころから発熱があり、加えて胸部の圧迫・締つけなどの心筋炎の諸症状を訴える状況にあるうえに、右当時はプレドニンの投与を中止した直後であったことから、被告は亡義政の右症状から疾病すなわち肝炎の再燃事実の有無及び関連疾病ことに肝炎ウイルスによる心筋炎発症の有無等を検査により確認すべきであった旨主張するが、前記二3(三)ないし(八)認定の事実、《証拠省略》によれば、亡義政は入浴翌日の昭和五二年四月一二日に三八度二分の発熱があり、被告は診断の結果右発熱を咽頭炎によるものと判断して投薬した結果、同人は翌一三日には解熱の傾向を示していることから、右判断及び投薬自体は妥当であったものと推認されること(右推認を左右するに足りる証拠はない。)、被告が亡義政から胸部圧迫等の訴えを初めて聞いたのは同月一四日であり、同人に右症状が出現したのは前日である同月一三日ころと推認されること、被告は右一四日には本件心電図をとり、また、同人の肝機能検査を実施していること、以上の事実が認められ、右事実を総合すれば、被告は亡義政の発熱及び症状の変化に照らし同人の肝炎の再燃事実の有無につき必要な治療処置をなしていたと認められるのであって、これをもって違法なものとも不適切なものとも言えない。

(二)(1)  前記三1(二)認定の事実、《証拠省略》によれば、被告の本件心電図の所見は臨床医学上誤りであって、被告が亡義政の心疾患を心筋梗塞と診断したことは誤診であったものと認められる。

(2) そこで右心筋梗塞の診断以後の被告の亡義政に対する治療処置について検討するに、前記二3(六)ないし(一一)認定の事実、《証拠省略》によれば、前記二3(六)ないし(一一)で認定した被告の亡義政に対する治療処置のなかには、プレドニン投与及びネオフィリンの投与などのように本件心筋炎に対する有効性が明らかでないものも存するが、逆に右投与が本件心筋炎に対し有害であったものとも認め難く、更に、利尿剤であるラシックスの投与のように本件心筋炎に有効であるものも認められるうえに、本件心筋炎に対する常識的かつ有効な治療法はいまだ確立されていないことに照らすならば、心筋梗塞の前提のもとになされた被告の亡義政に対する一連の治療処置が本件心筋炎の治療として違法であったものとも、不適切であったものとも認めるに足りない。

(3) なお、原告らは、被告が昭和五二年四月一五日に本件X線写真を撮影した際に、亡義政を二階の病室から一階のX線室まで歩行させたことをもって違法若しくは不適切な処置である旨主張するが、《証拠省略》によれば、被告は亡義政の臨床経過に照らしたうえで歩行可能という判断のもとで右のような処置をとったものと認められ、当時亡義政は、胸内苦悶に苦しんでいたとはいえ、二階の病室から一階のレントゲン室まで特段のトラブルもなく歩いて往復しており、右歩行後同人の容態が急変したというようなこともなかったことに照らすならば、被告の右処置をもって違法な治療処置とも不適切な治療処置とも言いえないものである。

(4) 原告らは右の外にも、亡義政が本件心筋炎を発症した時以後の被告の亡義政に対する治療処置に関し違法若しくは不適切な処置が存した旨るる主張するが、《証拠省略》によればいずれの処置も被告が、亡義政の治療にあたる医師として同人の一般症状及び臨床経過を考慮のうえで、専門家としての知識・経験に基づく判断によりなしたものであることが認められるのであって、右各処置をもって違法なものとも、不適切なものとも、いうことはできないものである。

4  また、原告らは、被告が昭和五二年四月一四日亡義政の心疾患を心筋梗塞と診断しながら、心疾患の患者に対し適切な医療を施すに足りる人的・物的能力を有する病院に亡義政を転医させなかったことが違法若しくは不完全な治療処置であった旨主張するので判断する。

確かに、前記二3(五)で認定したところによれば、被告はおそくとも昭和五二年四月一四日の時点では、亡義政の心筋障害を認識していたことが認められ、また、《証拠省略》によれば、被告は右同日、本件心電図と亡義政の一般症状から、同人の心疾患を心筋梗塞であると判断してはいるものの、被告自身心疾患の専門家ではないことから右診断が確定的なものとは言えないこと、亡義政の一般症状からみて同人が死亡する危険も十分あること及び同人の右症状からみて心疾患の専門家に診せることが妥当であることを認識していたことが認められるが、そもそも転医については患者の病状と当該患者の入通院している病院の人的・物的設備によりその必要の度合が異なるであろうし、もとより転医の措置をとるか否かにつき医師の専門家としての判断を参考にすることはいうまでもないとしても、転医は、患者が当該診療契約をした医師との契約を解消して特定の転医先の医師との新たな信頼関係に基づく診療契約に入ることを予定するものであるから、特段の事情のない限り、右転医先の特定医師の選択については最終的には患者若しくはその家族の意思が尊重されるべきものであるところ、《証拠省略》によれば、被告は昭和五二年四月一五日当時、亡義政の付添に来ていた原告キクヱから、亡義政の実兄の弁護士である訴外下奥和孝(以下「訴外和孝」という。)の意見を聞かなければ、原告キクヱの一存では亡義政を転医させることはできない旨言われていたこと、右同日ころ訴外和孝から被告に対し訴外和孝の知り合いの医者に亡義政を診てもらう旨の電話があったこと、被告の判断としては、右一五日以降一七日にかけて亡義政の容態は多少改善されている様子ではあったが、いまだ患者である亡義政自身を動かすことによる容態の悪化が心配される状況であったこと、本件心筋炎は、その発症が突発的でかつ重篤なものであり、発症から死亡までがわずか約四日間の短期間であったこと、以上の事実が認められ、右によれば前示亡義政若しくはその家族の意思及び前示亡義政の病状のもとでは、被告が独自の判断で亡義政の転医を敢行しなければならなかったというほどの特段の事情は認め難いのであって、右被告の措置が違法であったものとも不適切であったものとも、言いえない。

なお、転医させなくとも、亡義政の容態が急変した段階において、他の専門医を被告の病院に招来してその協力により治療にあたる方途も考えられなくはないが、仮に被告がこのような方法をとって他の医師の協力を求めたとしても、前示亡義政の病状の急変した状態のもとで救命をはかりうる可能性はまずなかったものと推察されるのであって(鑑定の結果参照)、このような本件の状況に鑑みると、被告がそのような方途をとらなかったこと自体をもって、違法な措置であるとは断じえないし、不適切な措置であるとも断じえない。

5  以上述べたところによれば、前記四1(一)(3)記載のプレドニンの投与方法及び同1(二)記載の右プレドニン投与を前提とした入浴許可並びに、前記四3(二)(1)記載の誤診は、治療処置として違法、不適切であったものと認められるが、右以外の被告の亡義政に対する治療処置に関しては、違法な行為が存したものと認めるに足りないし、また、不適切な行為が存したものとも認めるに足りない。

五  因果関係

1  前記二3(二)ないし(八)認定の事実、《証拠省略》によれば、亡義政の入浴と咽頭炎の罹患及び急性肝炎の再燃との間には相当因果関係があること、したがって、右四1で述べた被告の違法、不適切な治療処置と咽頭炎及び急性肝炎の再燃との間には相当因果関係があることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこで進んで本件被告の前記四1記載の違法、不適切な処置と本件心筋炎発症との間に相当因果関係が存するか否かにつき判断する。

(一)  《証拠省略》によれば、肝炎ウイルスによる心筋炎の発症自体が非常に稀であること、したがって本件心筋炎が肝炎ウイルスによるものであるとは一〇〇パーセント断定はできず、他のウイルスによる可能性も否定しきれないこと、一般的には肝炎患者の入浴による肝炎の再燃と肝炎ウイルスによる心筋炎発症との間に因果関係があるとすることはできないこと、以上の事実が認められる。

(二)  しかしながら、前記二3及び三認定の事実、《証拠省略》によれば、入院時から少なくともプレドニンの投与を中止した昭和五二年四月八日までの間は、亡義政の急性肝炎は徐々に治療の方向にあったにもかかわらず、入浴した翌日の同月一二日に発熱してからの亡義政の容態は、一時的な小康状態はあったものの、同月一八日に死亡に至るまで一貫して悪化の方向にあったこと、この間おそくとも同月一四日には亡義政は本件心筋炎を併発していること、以上の事実が認められるうえに、前記四1で述べた亡義政に対する違法、不適切な治療処置、すなわち、プレドニン投与の中止及び同人の入浴以外に、右心筋炎の発症を惹起するような要因は、本件においては何ら存しないこと、以上を総合するならば、前記違法、不適切な治療処置と本件心筋炎発症との間には相当因果関係があるものと推認せざるを得ず、右推認を覆すに足りる証拠はない。

六  被告の責任

1  原告らは、被告の亡義政に対するプレドニンの投与の中止方法及び入浴許可には、肝炎治療にあたる医師として要求される注意義務に反した過失が存する旨主張し《証拠省略》中には右主張に沿う供述部分があるところ、前記二3(一)(1)、(2)認定の事実及び《証拠省略》によれば、被告は、亡義政に対する肝機能検査の推移及び同人の一般症状を見ながら、当初二〇ミリグラムだった投与量を、昭和五二年四月一日の検査の結果を翌二日に確認して同日からは投与量を一〇ミリグラムに減量し、次いで同月八日の検査の結果を翌九日に確認して、同日からは投与を中止していることが認められ、更に、右認定事実及び前記二3(二)認定の事実並びに《証拠省略》によれば、被告は、亡義政の急性肝炎の快復傾向を確認のうえで同人の希望もあって入浴を許可したことが認められるのであって、以上を総合するならば、被告の本件プレドニンの投与中止方法及び本件入浴許可につき被告には当時急性肝炎の治療にあたる医師として要求される注意義務に違反した過失があったものとまでは認め難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はないし、また右治療に関して被告に帰責事由が存しなかったものと認められる。

2  原告らは、被告が昭和五二年四月一四日にとった本件心電図は、重篤な心膜・心筋炎の顕著な特徴を示していたのであるから、被告が右心電図を見て亡義政の心疾患を心筋梗塞であると誤診したことは、医師として通常有すべき注意義務に違反した過失が存する旨主張し、証人柳沼淑夫の証言中には右主張に沿う供述部分があるところ、前記三1(二)認定の事実、《証拠省略》によれば、結果として被告の本件心電図の所見は臨床医学上誤りであったことが認められるが、他方前記三1(二)(1)認定の事実及び鑑定の結果によれば、本件心電図から疑われる疾病は心膜炎であること、心筋炎は心電図だけでなく、患者の訴えや、前胸部の触診、聴診等をもあわせて診断するものであって、本件心電図のみから心筋炎と断定することはできないこと、本件のような心筋炎は極めて稀であること、本件ではその発症が突発的であって発症から死亡に至るまでがおよそ四日間とごく短期間であったうえに右死亡に至る経緯も極めて特異なものであったこと、それゆえ臨床経過を追うことによる疾病の判断が困難であったこと、当時亡義政が強い胸内苦悶を訴えていたことから被告が同人の心疾患として心筋梗塞を予想したこともあながち誤りとは言えないこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》してみれば、被告が本件心電図及び前記二3(四)ないし(六)の亡義政の症状から結果として本件心筋炎を診断し得なかったことに、医師として通常要求される注意義務に反した過失が存したものとまでは認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はないし、また、被告には帰責事由が存しなかったものと認められる。

3  右に述べたところによれば、被告の亡義政に対する違法、不完全な治療処置に関して、被告に過失が存したものとは認めるに足りず、また帰責事由は存しなかったものと認められるのであるから、原告らの請求はいずれも、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

七  以上の次第で、原告らの被告に対する本訴主位的請求ならびに予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤瑩子 裁判官 松田清 大久保正道)

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